ブログを凍結します。

ブログを凍結いたします。

(理由)
・釣りに行くことがなくなりました。
・Seesaaブログがかなり重くなりました。

記録としてこのまま残しておきます。
コメントはお受けできなくなります。
ヤマメのことは墓場まで持っていきます。

20年間、お付き合いいただいた方々、誠にありがとうございました。
(2022 春)


みんな、がんばろー。シェー!
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2022-04-01 22:00 | Comment(0) | 【記事】そのほか

フライの新刊情報です。

『ふらい人書房』からの新刊です。

今回はなんと!?女性によるフライフィッシングのエッセー本だそうです。アウトドアに関して、男だ女だという事はなくなってきていて、フライフィッシングに関しても同じことが言えると思います。ただもう少し、この流れが早くおこっていればと思うのは私だけでしょうか。(それは贅沢というものですね。)

火星でフライフィッシングをするつもり?
Mars_FF.jpg

詳しくはふらい人FaceBookでどうぞ。


独り林道を4時間30分歩いた。

二つの目的の遂行。

ノコ、ナタ、ナイフ、スコップを装備に追加して山に入る。第一の目的、林道までの旧道を整備すること。これに3時間かかった。林道に出て横断したら再び山中に入って直登。

コース横の土手の上、藪の中を何かが走っていくので、止まっては歩き、止まっては歩き、相手を伺っていると、先のほうで大きくて真っ黒なイノシシがこちらを見ていた。そのままコースを横切っていったが、あとはいくら耳を澄ませても、どの方向にいるか分からなかった。獣って、猟って、そういうことだろうと思った。

間違えやすい場所に到着。第二の目的、白い矢印を記した石を置いてくること。この石は、この場所で矢印の形になった石を見つけて、前回これを持ち帰り、自宅で白い矢印を描いた上にコーティングを掛けたもの。

山頂に出たらぐるっと一周して、再び林道に戻り、今日切り開いた道から降りる。この道の入口と出口は控えめに伐採した。あまり大っぴらにすると間違えが起きたり苦情が出たりする。とはいえ、次の夏には元に戻っているかもしれない。

知ってる人だけが使う道、それでいいと思う。昔は山には色々な道があったそうだ。山で暮らす人が使う道、林業従事者が使う道、河原を渡り暮らす人が使う道、障碍者だけが通る道、狩猟が使う道。もちろんそれらは獣が通る獣道とは明らかに別だったそうだ。

(p.s)
装備に白テープを忘れていた。次回のため、忘れないようにザックに入れておこう。


独り林道を3時間30分歩いた。

地図と航空写真と合わせ見ながら、原生林と植林の堺を上がれば林道に出れるはずと実行。

途中、藪漕ぎもあったが、昔の道跡を確認、直登して林道へ出る。林道を横断して、目印等を地図上に落とし込んでいく。林道から再び山中へ、前回、見逃して失敗した地点を確認。目印を立てたり簡易の土木工事などして、そこから再び直登。

藪漕ぎをして目的の場所に出たら、そこに作業員が棒を持って構えていた。おそらくイノシシでも出てくるのかと思ったのだろう。このルートは2年前に封鎖になったはずだと言われたが、人間どこからでも入るからね。

登って降りて、また林道に戻り、元の山に入って下りてくる。間違えやすいところは通せんぼなどを作りながら帰る。次回はノコとナタを持っていって一人分の道を開く予定。あー楽し。

(p.s)
猟銃で打たれないように(特に冬場は)派手な色で山に入るようにしています。


独り林道を3時間歩いた。

お腹が出たまま引っ込まないので林道を歩くことにした。

ずっと入り口だけを知っていて、途中や行き先がどうなっているのか気になっていた林道。誰にも会わない、右に折れ、左に曲がり、初めて釣りに来た渓流と同じ、わくわくが止まらない。

帰宅してからも身体がよく動く。若返った気分。あまりにも気分がよいので、またすぐに歩きに行こうと思う。あたらしく地図も打ち出した。

(p.s)
眼鏡は必要だ、ぼやけた視界はもったいない。水は1リットル消費した。2リットルあれば安心、とくに食事をはさむなら。貴重品はひとまとめにして、ショックに強い入れ物に入れておこう。ベルトはしなくてもザックに入れておいて損はない。斜面でスリング代わりに使ったり、荷物を木に吊るしておいたり、二つ折りにして両側に引くとパチーンと大きな音を出すこともできる。


戻れない川がある。

もう本当に、最近ひしひしと思う・・・。日本のフライフィッシングはこれで終わりなのかな。ショップも今の代で終わり、せいぜい通販オンリーになるんじゃないのかな。

こう考えるのは、自分が歳をとったというのもあるだろう。体力は言わずもがな、最初はあらがっていたけれど、昔のような情熱はなくなっていて、今はもうそれを事実として受け入れてしまっている。歳に合わせて自分にできること、速度は落ちても、これからもやっていけそうな事を探している自分がいる。これまでとは別のものに熱がシフトしていっている。戻れない川がある。

先日、昔の釣友がTVに出ていて、画面の中の彼はやはり川に立っていたけれど、魚ではなく砂金をすくっていた。以前から聞いていた趣味だったけれども、そういうのも無理がなくていいなと思ったりした。何より川に行くことが。